基調講演 1 ロバート仲宗根 Robert Nakasone

■英語

WUB 20th Keynote

Haisai Gusuyo !! Aloha
Uchinanchu Worldwide Network started when Toyama Kyuzo encouraged Uchinanchu to go to the 5 continents and make it their home. Uchinanchu aboard maintained contacts by sending money to their improvised families and relatives in Okinawa.
Ryukyu University Professor Ishikawa said that at one time over 60% of the Okinawa economy funds came from the Uchinanchu Issei
In the 80s Okinawa Times and Ryukyu Shimpo started to write about Uchinanchu abroad.

Shinichi Maehara then followed with his outstanding Okinawa TV series WORLDWIDE UCHINANCHU. Maehara was honored by the University of Hawaii with a honorary PhD.
Today I would like to start with clips from Dr. Maehara's TV program.

TV CLIPPING.

Let me continue, the concept of WUB was discussed at the 2nd 1995 Worldwide Uchinanchu Festival. I talked with Kenji Sumida then president of EWC about this. He offered to help this UNTESTED CONCEPT by appointing me as a EWC Visiting Fellow.
A few months later Bank of the Ryukyu made a sizeable general donation to the EWC. Kenji said that since this came from Okinawa lets use part of this for this project. Ryukyu Shimpo support soon followed.

This is how the 1st WUB conference began.
EWC continues to be a strong supporter of WUB and we are grateful for this.
At the end of the 1st conference we ask WHAT NEXT? Shinji Yonamine volunteered to hold the 2nd WUB conference 1998 in Brazil, with the largest number of Uchinanchu abroad

WUB Hawaii is small, but flexible and can be a catalyst. We needed momentum. We requested to Akira Sakima, Ryukyu Bank president to send a strong international leader to our first conference.
Morimasa Goya, now Chairman of Kanehide group, 4th largest Okinawa company became WUB 2nd president. Unfortunately he could not attend today.
Representing Mr. Goya is Mr.Shinichi Matsumoto, president of Kanehide.
Thank you, Mahalo, Ippei Nihei Debiru

■日本語

WUB20周年基調講演
ハイサイ グスーヨー!! アロハ

 ウチナーンチュの国際的なネットワークは、かつて当山久三が詠んだ「いざゆかん、我らの家は五大州」から始まっています。その頃海外に渡ったウチナーンチュは、故郷沖縄の親戚家族へ仕送りをし生活を支えることによって、家族親戚とのつながりを保っていました。
 琉球大学の石川教授によると、ある時期沖縄経済の約60%以上を海外に渡ったウチナーンチュ1世からの仕送りに頼っていたと言われています。
 80年代になると、沖縄タイムス、琉球新報各社が海外に在住するウチナーンチュの紹介記事を掲載するようになりました。

 当時前原信一さんがレポーターを務め沖縄テレビが放送していた「世界のウチナーンチュ」は大変素晴らしい番組でした。その後前原氏はハワイ大学から名誉博士号を授与されました。本日、私はこの前原氏の番組のクリップを見ながら話を進めてまいります。

TV Cliping

 WUBのコンセプトは、1995年の第2回世界のウチナーンチュ大会において初めて議論されました。 当時の東西センター所長だったケンジ・スミダ氏へ相談したところ、スミダ氏は援助を申し出てくれ、まだ真価がわからないWUBのコンセプトを実証するため、私は東西センターの無償の客員フェローへ任命されました。

 その2?3ヶ月後、琉球銀行から東西センターへ汎用的な活用を目的とした多額の寄付がありました。スミダ氏は、沖縄から届いた寄付なのだからと、一部をプロジェクトの資金として提供してくださいました。その後すぐに琉球新報からの援助を受け、そのおかげがあり第1回WUB会議をホノルルで開催することができました。

 このようにして今日のWUBは始まったのです。発足当時から現在に至るまでの長きに渡り、WUBの強力なサポーターである東西センターのご支援に深く感謝をしています。

 第1回会議終了時、参加者の間から ”What Next?” 「次はどうする?」と声があがりました。ブラジルから参加していた、シンジ・与那嶺氏が翌年の1998年にブラジルで第2回WUB会議の開催に手を上げてくれました。ブラジルは海外在住の沖縄県系人が最も多く住んでいる国です。

 WUBハワイは小規模ですが、フレキシブルで、WUB始まりのきっかけとなることができました。しかし私たちには推進力も必要でした。そこで当時琉球銀行頭取だった崎間晃氏へ、影響力のある国際的なリーダーを会議へ参加させてもらいたいと要請をしたところ、後に第2代WUBネットワーク会長を務める、県内で4番目の規模を持つ金秀グループ会長呉屋守將氏が参加されました。

 残念ながら呉屋守將さんは今回ご参加できませんでしたが、松本眞一株式会社金秀本社代表取締役社長が代理としてご参加いただいております。それでは、松本社長、よろしくお願いします。

 ご静聴ありがとうございました。マハロ!いっぺーにふぇーでーびる!

— posted by admin at 10:59 pm  

Created in 0.0050 sec.


prev
2017.9
next
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30